新米エンジニアの見た世界。2012年の私の気持ちのまとめ。
ジェットコースターで気絶するレベルの私が、ラスベガスの砂漠の25000フィート上空からスカイダイビングしたあたりから2012年は始まってました。
- 社会人になる前の話。
修士1年に在学している途中で、何処にシリコンバレーが在るのかも理解せずにノリと勢いで渡米し、fluxflexでインターンをさせてもらってや色々な開発に参加させてもらって、帰国したのが3月。
帰国翌日から連続で面接を設定してもらい、サイバーエージェントへの入社が決まったのは帰国3日後の出来事でした。
去年の12月頃から相談したり履歴書を出したり少しずつ活動していたのですが、突然の就職っぽく見えたかもしれません。
北海道に戻る前に、未踏カンファレンスで登壇しました。
- 研修の話
少しだけ北海道に戻って大学に休学届を提出し、4月から新社会人をスタートさせました。
入社後は7月に入るまで入社研修が中心で、新人研修の記事が結構なアクセス数を記録しました。
研修の中で最も嬉しかったのは、広告プランコンペで、CoovaAPを使った無線LAN広告の提案して優勝出来ました。
社内ではモックプランのコンテストがあったりするのですが、より手を動かせるデモのかっこよさ&技術カッコイイ!みたいなので一発仕掛けられた感があって少し自信になりました。
- 私生活の話
様々なことが初めて!という状況で、アプリ作ったり作曲活動を少しだけしました。
vibeeというアプリを、クックパッドの開発コンテスト24向けに24時間で開発&PV撮影しました。
vibee 言葉のいらないパジャマタイムコミュニケーションツール
deploygateのBGMを作成させてもらった時には、"それっぽさ"をいつも以上に追求することになって技量を強制的に底上げすることになりました。
DeployGate
情報科学若手の会に参加して、幹事を一緒にやらせていただくことになりました。
あとは、ちょこちょことブログを更新するようにしていました。
- 渡米の話
cyberagentamerica.incに配属が決まったのが6月末で、H1-Bのアプライをその前からしていました。
実際の面接は、10月頃にありました。
そして、壮行会。
多くの人の暖かい声援とLTとプレゼントで、送り出していただくイベントがありました。
いつでも温かい声を(主にtwitterで)かけてくれる@ukayareさん。
websigに誘って下さった@akitectさん。
いつも人生の転換期にばったり会って縁を何か感じる@fuuriさん。
カッコイイ女性の象徴的キャラクターである@miroc007さん。
会社の先輩で日米でお世話になってる@satullyさん。
会場にきてくださった40人くらいの皆さま、本当にありがとうございました!!!
↑会社の先輩でもある@satullyさんの作成した画像。
その後、経営方針によるこんな事情があり、現状の会社でのアメリカで働くパスが完全に消え去ってしまうという事態がありました。
話を聞いた瞬間は、本当に色々悩みました。
悩んで悩んで、テンダーロインのど真ん中でホームレスに愚痴を聞いてもらったり、skypeで相談したりして、自分の取り得る選択肢を列挙していきました。
荷物を整理して渡米し、アメリカで手に入れた荷物をほぼ全て捨てて帰国。
日本に戻った頃には、自分の身近な持ち物が一週間分の服とPCくらいになってしまっていました。
会社という組織に対して、沢山の夢を抱いて絶望を学びました。
このことは、今のところ今後の人生に影響を与えそうなイベントのひとつです。
その後、会社の上司と相談して、2月・3月周辺でまた向こうで働けるように挑戦中です。
1月からはcyberagentamerica.incから、別の会社に出向になります。
- 色々感じている話
「別に日本でコードを書くのも、アメリカでコードを書くのも、大して変わらない」と考えてました。
実際、fluxflexでインターンをしていた時は不自由を感じることはほぼなかったのですが、会社に入って日米でチームが別れて開発するということは想像以上に大変なんだということを学びました。
スタートアップ規模では上手く出来ていたコミュニケーション手段も、会社規模になってしまうとやりづらくなってしまうことに勿体なさをよく感じました。
でも、新人だから……と思うと発言するのを気後れしてしまっていました。
帰国後は、こまめに議事録共有したり朝会の様子をskype中継してみたり、少しずつトライするようにチャレンジしてます。
日米で共同開発が出来ることを私は経験したつもりだからこそ、まだ諦めたくないところです。
「別に日本でコードを書くのも、アメリカでコードを書くのも、大して変わらない」
この考えは裏を返すと、日本人がコードを書くのもアメリカ人がコードを書くのも、むしろ自分がコードを書いても大して変えられないという事実であり、
"自分はもっと必要とされる働き方があったのではないか?"と改めて考えるきっかけとなりました。
このことに対する答えは自分の中では出ているのだけれど、気持ちの整理も必要で、言葉にするには少し時間が必要そうです。
また、私が"かっこいい"と感じる人々は、社外でのアウトプットのインパクトも結構ある人だと改めて気がつきました。
むしろ、そういう人たちは会社で何をしているのか謎な人々で、でも私の知っている世の中では"あのプロダクトの人"と共通認識されていたりします。
エンジニアとして取り得るアウトプットの仕方は、今2種類考えられていて、
・会社と別に、プライベートで開発して成果を出している
・会社に満足して、アウトプットする力をほぼ全て社内へ向けてる
このどちらかと感じてます。
今の会社では後者になりがちに思えるのだけど、自分の思い描くエンジニアの幸せ像は前者です。
仕事で得た技術をプロダクトとしてお金に変えるだけじゃなく、知識という形で世の中にアウトプットしていきたいと考えていて、そういう環境になるよう会社にコミットしていきたいです。
変化の多い会社だからこそ、変えていくことを諦めたくないです。
2012年ももうすぐ終わり。
今年も沢山の素敵な人々に出会いました。
今年お世話になった色々な人に、"ありがとうございます"を伝えたいです。
来年は本に描かれている世界や言葉はその著者の数カ月前の出来事だからこそ、人と技術ともっと直に向き合っていきたいです。